
【Daytona狩猟部】猟期、終わりの風景。—弾が出ているか疑ったあの日、初めての獲物—
「カモ池には、数羽の影。しかし、どれも遠すぎる。」
2月某日。暦の上では春を迎えようとしていたが、フィールドはまだ冬の空気を纏っていた。これが今期最後の猟になる。そう決めて、いつものように車を走らせた。
銃が火を吹かない苛立ち
今回の狙いはカモとキジ。流し猟のスタイルで、次々とポイントを変えていく。しかし、獲物たちは賢い。「打たれ慣れている」という言葉では片付けられないほどの警戒心だ。俺が車から降り、姿が見えた瞬間に、カモたちは一斉に飛び立っていく。まだ銃さえ出していない。構えすらしていないというのに。
何度も狙いを定め、引き金を引く。しかし、弾は空を切る。繰り返す空振りに、ふと疑念が頭をもたげる。 「おい、本当に俺の銃から弾は出ているのか?」 そんな馬鹿なことを本気で考えてしまうほど、完璧に裏をかかれ続けていた。キジに至っては、その気配すら感じさせない。完全なる完敗ムードが漂っていた。
不意に訪れた「初獲物」の重み
そんな苛立ちと諦めが交錯する中、思いがけない出会いがあった。 今期、初めて手にした獲物。それは、スズメだった。
興奮のあまり、記録としての写真を撮ることも忘れていた。ただただ、無心でそれを受け取った。持ち帰り、感謝の念を込めて丁寧に捌き、食す。それが、獲物に対するせめてもの供養であり、狩猟者の流儀だと思っている。
「ちゃんと当たれば捕れる」という真理
獲物を手にした瞬間、さっきまでの「弾が出ているのか?」という疑念は霧散した。 スズメに命中したあの感覚。銃口の先で起きた確かな手応え。獲物に当たったとき、俺は改めて思い知らされた。
「ちゃんと狙い、引き金を引けば、必ず獲れる」
弾が出ていないわけではない。ただ、俺の腕と勘が獲物の速さと警戒心に追いついていなかっただけなのだ。そして同時に、銃という道具が持つ「命を左右する力」の重みを再認識した。獲物が捕れるという事実と引き換えに、銃の取り扱いにはこれまで以上に細心の注意を払わねばならないと、冷や汗が出るような思いだった。
来期への誓い
今期の猟期は終わった。カモもキジも、俺の想像を遥かに超える強敵だった。悔しさはある。だが、自然の中で過ごしたこの時間は、何物にも代えがたい。
「来期こそは、カモに、キジに。」
そう誓い、今は愛銃を丁寧に手入れする。獲物たちよ、また次の冬に会おう。その時は、もう少しマシな腕前になっているはずだから。
※今回も写真を撮り忘れているのは、御愛嬌で…..。その代わりその時感じた事などを記している。
注)扉の写真はAIイメージなので、実物はあんなダンディではございません(涙)
Daytona狩猟部:今期活動記録
編集後期: 狩猟は単なるレジャーではなく、獲物との真剣勝負。獲れなかった悔しさも、初めて仕留めた時の高揚感も、すべてが「大人の遊び」のスパイスです。来期に向けた準備期間こそが、次の猟をより面白くするはず。次回の記事では、来期に向けた銃のメンテナンスや、作戦会議の様子をお届けできるかもしれません。
何はともあれ、事故がなく終われたことが、最大の勲章だ。
Daytona編集部(ケンボー)





