
【Daytona狩猟部】Vol.01:鉄の掟と、静寂の240分。
「獲れる」なんて、それは人間の奢りかもしれません。
「HUNT」という言葉から、皆さんは華々しい戦果を想像されるかもしれません。ですが、現役ハンターである僕が今期の猟期(シーズン)において、冷たい泥に膝をつきながら再確認しているのは、もっと別の何かです。
今朝も山に入りました。日の出とともに、静寂の中に身を投じます。結果から申し上げれば、今日も獲物を手にすることはできていません。「猟=獲物が獲れる」というのは、山を知らない人間の幻想に過ぎないのです。
獲れない時間。ただただ、自然の気配と自分の呼吸だけに意識を研ぎ澄ます数時間。その不条理さこそが、実は狩猟の真髄なのではないかと思うこともあります。


<HUNT No15から抜粋>
銃を持つ者が背負う、唯一無二の「鉄則」があります。
デイトナが愛するカスタムカーやバイクの世界でも、整備不良や無謀な運転は命取りになりますよね。ですが、狩猟におけるリスクは、さらに「他者」へと向けられる可能性があるのです。
僕がこの連載で、テクニックやギアの話よりも先に伝えたいこと。それは、「安全第一」という、あまりにも当たり前で、かつ最も重い鉄則です。
- 「脱包」の徹底: 獲物がいない時、銃はただの重い鉄の棒でなければなりません。
- 矢先の確認: その弾がどこまで飛ぶのか、その先に何があるのか。100%の確信がなければ、引き金に指はかけません。
- 自分の過信を捨てる: 山での「だろう運転」ならぬ「だろう発砲」は、取り返しのつかない結末を招きます。
遊びの中にこそ、真剣な「規律」を。
カッコいいウェアを着て、憧れのライフルを手に取る。それは最高の遊びです。でも、その遊びを継続させるのは、ストイックなまでの自己規律(セルフ・ディシプリン)に他なりません。
絶賛今期の猟の真っ只中です。獲物が獲れない悔しさを噛み締めながら、今日も僕は無事に山を下り、銃をガンロッカーへ収めてチェーンをかけます。この「無事に帰る」というプロセスまでが、僕にとっての「HUNT」なのです。
Daytona狩猟部。 まずは、この「獲れない日の美学」と「安全という名の覚悟」から、お話を始めていこうと思います。
■編集後記
実は今回の第1回目、素晴らしいハンティングの瞬間をお見せしようと、GoProを携えて気合十分に山へ走り出したのです…..。

ですが、世の中はそう甘くはありませんでした。なんと開始わずか5分で機材がフリーズするという痛恨のトラブルに見舞われてしまったのです。手元に残ったのは、僕の虚しい一人語りと、山に空白く響き渡る発砲音……という、なんとも言えないシュールで救いようのない映像でした。
というわけで、今回はあえて「物語調」で格好をつけた形でお届けさせていただきました。次回こそは、皆様に野生の息吹(と、正常に動く映像)をお見せできることを、僕自身が一番願っています。
前置きがなく急に始まった第一回目ですが、今回始まるに当たっての簡単な経緯を記しておきます。
未来へ繋ぐ「HUNT」の精神:現場のリアルを届けるということ
雑誌『HUNT』は、2013年から2017年にかけて、僕らに「野生と生きる美学」を提示してくれました。
定期刊行が止まった今も、そのページに刻まれた哲学は色褪せることはありません。
しかし、紙の中の美しい情景だけが狩猟のすべてではないことを、僕は知っています。
今、日本の狩猟界は大きな転換期にあります。増え続ける有害鳥獣による農作物被害、それを食い止めるハンターの高齢化と減少、そして「命を奪うこと」に対する社会の目。これらは、綺麗な写真だけでは語り尽くせない、現場が直面している切実な課題です。
僕は、この連載を通じて『HUNT』の精神を自分なりに「復刊」させたいと考えています。
それは単なる情報の再放送ではありません。現役ハンターとして今この瞬間も山を歩き、泥にまみれ、時には獲れない虚しさに包まれ、それでも「安全第一」という鉄の掟を守り抜くそんな「現場のリアル」を、包み隠さず届けていくことです。
素晴らしい文化を絶やさないために。そして、これから山へ入ろうとする仲間たちが、正しく、深く、この世界を楽しめるように。
僕らの「HUNT」は、ここからまた始まります。





